サザンオールスターズのリーダーである桑田佳祐さんはデビューして40年余り日本音楽界を牽引してきました。
その音楽面での功労が注目されがちですが、社会支援活動にも精力的であることはあまり知られていません。
今回は桑田佳祐さんの社会支援活動に焦点を当ててみます。
それでは時系列順に支援活動の詳細を見ていきましょう。
1995年 Mr.Childrenとチャリティーシングル「奇跡の地球」を発売、エイズ啓発活動へ寄付
1996年 「夷撫悶汰(いヴもんた)レイト・ショー 〜長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe〜」収益からエイズ啓発活動へ寄付
1997年 「“歌謡”サスペンス劇場」 収益からエイズ啓発活動へ寄付
1998年 「桑田佳祐オールリクエストショー」収益からエイズ啓発活動へ寄付
1999年 「エリック・クラプト“ソ”横浜公演 」収益からエイズ啓発活動へ寄付
2000年 「桑田佳佑が選ぶ20世紀ベストソング」収益からエイズ啓発活動へ寄付
2001年 桑田佳佑PLAY“ザ・ビ-トルズ”「クワガタムシvsカブトムシ」収益からエイズ啓発活動へ寄付
2003年 「桑田佳祐~Act Against AIDS 2003 ~栄光のDISCO & SOUL~」収益からエイズ啓発活動へ寄付
2004年 「桑田佳祐~Act Against AIDS 2004 ~THE GOLDEN AGE OF BRITISH ROCK~愛と青春の英国ロック~」収益からエイズ啓発活動へ寄付
2008年 「桑田佳祐 Act Against AIDS 2008 昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦」収益からエイズ啓発活動へ寄付
2011年 チャリティーソング「Let's try again」を作詞作曲、収益の全額を東日本大震災へ寄付
2011年 シングル「明日へのマーチ」、チャリティーライブ「宮城ライブ」収益から東日本大震災へ寄付
2011年 チャリティーライブ「ジョンレノンスーパーライブ」に参加
2013年 「桑田佳祐 Act Against AIDS 2013 昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦」収益からエイズ啓発活動へ寄付
2016年 臨時災害放送局運営終了に伴い、女川さいがいFMでのサプライズライブの敢行
2018年 ベストアルバム「海のOh Yeah!!」収益から西日本豪雨、東日本大震災へ寄付
2018年 「Act Against AIDS 2018 平成三十年度! 第三回ひとり紅白歌合戦」収益からエイズ啓発活動へ寄付
2020年 横浜アリーナで初の無観客ライブ 収益の一部をコロナ研究、医療機関へ寄付
2021年 無観客ライブ『桑田佳祐「静かな春の戯れ ~Live in Blue Note Tokyo~』収益の一部を「Music Cross Aid ライブエンタメ従事者支援基金」へ寄付
2022年 自身と同じ1955~56年生まれのミュージシャンの佐野元春(66)、世良公則(66)、Char(66)、野口五郎(66)を客演に迎え、チャリティー・ソング「時代遅れのRock’n’Roll Band」をリリース。楽曲から得られる収益の一部を公益社団法人「セーブ・ザ・チルドレン」に寄付
また、東日本大震災を機に、桑田さんは歌詞の力を改めて認識し、歌詞に被災者への思いを込めるようになりました。
被災地への思いの篭った応援歌、鎮魂歌を3曲紹介します。
明日へのマーチ
震災後の初シングルで、収益の一部が復興支援に当てられました。歌詞に「願うは遠くで生きる人の幸せ」と出てきますが、「遠く」が「東北」に聴こえる仕様になっています。宮城で行われたチャリティーライブでは「東北」と歌詞字幕が流れました。
愛しい人へ捧ぐ歌
震災の翌年に発表されたバラード曲です。「人に対して優しくありたい」「今、生かされていることに感謝したい」という願いが込められており、宮城の地で歌うことを想定して作られました。
東京VICTORY
この曲は東京オリンピックを見据えた応援歌として有名ですが、歌詞に「時が止まったままのあの日のマイホームタウン」とあり、被災地への思いも込められています。単なるオリンピックソングではなく、被災地のことも鑑みているところに多くの人の支持を集めている理由があるのではないでしょうか。
以上、桑田佳祐さんはエイズ患者支援に始まり、大震災、自然災害の復興支援、コロナウイルス感染症への支援など多岐に亘る支援活動を行なってきたことが分かりました。
このような数十年来の社会支援を桑田さんは決してアピールしたり、自慢することはありませんが、ファンとしてはこの事実をより多くの人に知って欲しいですね。
最後まで読んで下さりありがとうございました。